気候や水に恵まれた日本は、全国各地にお米の産地が点在しています。なかでも昔から良質のお米が取れる産地のひとつとして有名なのが秋田県。新潟県、北海道に次ぐ生産量を誇り、その数量は約45万t。長年愛されている「あきたこまち」や近年に鮮烈デビューした「サキホコレ」など良質なお米を生み出している秋田県の中でも、一大産地として知られる大潟村についてご紹介いたします。
大潟村とは
秋田県には日本海側に飛び出るような形をした男鹿半島があり、その付け根の部分にはかつて「八郎潟」という湖がありました。この八郎潟は琵琶湖に次ぐ面積を誇る日本で2番目の大き湖であり、この湖を干拓して作られたのが大潟村です。写真でもわかるように、干拓した部分は楕円形になっており、かつての湖沼は17,203haもの広大な大地へと変わり、新たな自治体として誕生しました。
出典:→https://www.vill.ogata.akita.jp/genre/outline/history
この干拓は、明治・大正など古くから計画はあったものの実現せず、戦後の食糧危機を受け昭和27年に干拓の調査事業所が設置されたところから実現に向けた本格的な歩みがスタートしました。オランダからの調査団派遣により有用性が認められ、農水省が事業計画を策定、昭和32年(1957年)から国直轄の事業として干拓が始まりました。その後20年に及ぶ歳月と約852億円という巨額の事業費をかけ昭和52年(1977年)に完工となりました。この事業は食糧増産を目的とし、日本農業のモデルとなるような大規模生産およぴ所得水準の高い農業経営を確立しすること目指しているため、面積の大部分が水田となっており、米作りのために誕生した村といっても過言ではありません。
全国各地から入植者を募り、農家のエリートを選抜、合格した農家には10haの水田が分配され、徐々に大潟村での米作りがスタートしていきました。全国的に見ると田んぼ1枚の面積は30a,50aほどであることが多いのですが、大潟村では1枚が1ha以上となっており、その広大さがわかるかと思います。6世帯14人の人口から始まった村は、現在では3,000人ほどの人口になっています。
干拓地ゆえの問題が数多く発生し、当時の生産者はかなり多くの苦労を強いられ、華々しい生活とは言えなかった一面もあったと言います。しかし、先人たちが築き上げた技術と育んだ土地は、しっかりと受け継がれ大規模農業の先駆けとして日本農業を牽引してきました。
ツナギでは大潟村産のお米も取り扱っています。
ぜひ秋田県大潟村の歴史背景に思いを馳せながら味わってみてはいかがでしょうか。
ツナギ流!美味しいお米の炊き方の動画をツナギyutubeチャンネルにてアップしています。
ぜひ動画も参考にしてみてください。
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